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訪問記

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なかよし保育園訪問記【元・川口市立本郷小学校長桑原清四郎】

人生とは実に不思議、なかよし保育園との出会いも不思議、村上園長先生との出会いも不思議である。
なかよし保育園の実践は凄い。本当に凄い。
25年も前からこんな教育が実際に行われていたとは…。
以下は本気になって教育を探って30数年経つ小学校長の感想、点描である。

1.

駅から5分、繁華街、ビルの3階。教育環境としては決して良いとは言えない。
こんな条件のもとでどんな教育が行われているのだろうか。ふと心配になる。
「良い環境・良い先生・良い指導」の3条件が揃わないといい教育は行われない。
そう一般的には思われている。実際多くの校長はそのために四苦八苦しているのである。
この環境下でどんな先生方が、どのような養育をしているのか。単なる託児所か?保育室か?心配半分、期待半分それが初発の感想であった。

2回目は自校の2名の教諭を連れて参観、そして3回目の今回は川口・ふじみ幼稚園の園長はじめ5名で参観した。関心は深まる。真剣である。

2.

朝の職員朝礼、全員正座・黙想、やおら立つと子ども達の出欠や日程の確認、更に健康・安全への配慮・指導の重点等が矢継ぎ早に進む、最後に園長の話。その間7 分。公立の小学校では見られないスピード感である。 仕事への「構え・ねらい・情熱」が朝の勝負である。「朝は金・昼は銀・午後は銅」朝が一番大事である。公立にはないスピード感がある。緊張感もある。子供への愛もある。

3.

屋上園庭での体育ローテーションと称する運動。20分、これは凄い、本当に凄い。
全員裸、はだしになっての体育。たったの20 分間であるが内容は濃密である。

8本の長さ3メートルほどの上り棒、それに4 本のロープ。年長さんは棒の方は簡単過ぎるのか、専ら揺ら揺ら動くロープにしがみ付きよじ登りながらロープ登りに挑戦している。棒・ロープ共にどの子もお猿さん宜しくするすると登っていく。

簡単のようだが難しい。握力・手足の筋力・腹筋、更に高いところを恐れないなど総合体力が必要。公立小だったら少なくとも2・3割悪くすると5・6割が登り切れない。学級・学年間のバラツキも激しい。特にロープ登りは難しい。1割程度から8・9割が登り切れない場合さえある。

4・5歳児跳び箱の「ヘッド跳び」、補助する先生の差し出す手を軸にからだが前転し宙に浮いた思う間もなく両手を上げピシット着地。10点満点のオリンピック選手さながら。跳び箱三歳児は4段の横とびである。年齢・能力に応じた高さである。手を挙げ走り回転し、終わってニッコリ満足な表情。2回3回と挑戦する子もいる。鉄棒の逆上がりも簡単にクリア。くるくると何の抵抗もなく回る。

繋がった一連の運動体系。平均台のようなバランス・調整型の動き、子供の背丈ほどもある垂直板、そしてドラム缶を利用してのよじ登り・飛び降りと、静と動の組み合わせも見事である。ここには肥満児がいない。1人もいない。これは驚異である。しかし、この体育ローテーションを見れば納得である。当然であろう。

小学校では普通でも平均でも1・2割、多い学級では3割を越す場合もある。肥満を生まない教育がここにはある。病人を生まない教育がある。恐らくこれから発生するであろうインフルエンザに罹る子も少ないであろう。罹っても早く回復するであろう。

4.

ホールでの1・2歳児のリトミック。
ぐるぐる走る・ぴょんぴよん飛ぶ・跳ねる・ジャンプする。スキップする。見よう見まねで覚えていく。見事である。泣きべそかいている子もいつの間にか輪の中に入る。まねをして学ぶ。理屈はない。説明でもない。独りでに学んでゆく。
いつの間にかできるようになっていく。ここがミソ。学校の先生は説明したがる。教えたがる。そんなことは何の役にも立たない。子供は動きながらまねしながら体で習得していく。それが子供の習性である。

悪い先生ほど説教したがる。3回も参観しているがここの先生が怒ったり説教したりしている姿を見たことがない。これも希有のことである。悪いことはストップをかける。良い方向に向かわせればよい。ただそれだけで良いのだ。

5.

ホールでのリトミックの後は1・2歳児の体育ローテーション20分マットでの回転運動である「ローリング」、これは見たことがなく、初めて見るものである。

先生の補助、勢いよく切れ味良く回転する。バタン・バタンとマットに叩き付けられる音がする。一見無茶な動きに見えるが子供は嬉しがっている。ここがミソ。切れ味が大事。この年代では頭の切れ味よりも体の切れ味である。

特に幼児・児童期は多様な動きで育つ時期である。小学校でも低学年遅くとも中学年までである。一輪車・竹馬・木登り・鉄棒、更にサッカー・野球等体感覚はこの時期に覚えないと大人になってからでは難しい。

6.

朝礼は10分床に正座、背筋をピンと伸ばし真っ直ぐ前を見る。
8・9割はOK、型の決まらない子も見られるが、ちょっと声をかけるだけ。なおす子はすぐ直す。無駄口はない。“黙想”の声で一斉にホールが静まりかえる。先生も背筋を伸ばしピシット黙想。師弟同行である。

主の祈り・聖句暗唱・お話・クラシックなど公立では見られない朝礼風景である。ここでは、毎日続けられる。先生も子供も一つになって祈り・聴き・見えざる神に心を向ける。それがここにはある。

「敬天愛人ー西郷南洲」「神を畏れることは知恵の始まり」である。宗派的活動は無益であり、時として有害であるが宗教的情操教育はこの三つ子の魂の時こそ重要である。

7.

EnjoyーEnglish 10分ネイティブの先生がネイティブで話しかける。
弾丸を発射するように猛スピードで会話を進める。こちらが聞き取れないのに子供達はその子なりに聞き取っている。僅かに10分間、その継続である。

子供の聴能力・音の識別力に感心する。子供の脳には言語を獲得・外国語ホルダーがあり、そのホルダーの感受性期は3・4才頃までである。音を聴く絶対音感も同じホルダーにあるのだろう。外国語の習得、特に英語教育はホットな課題である。なかよし保育園はここでも先駆的である。

8.

日課活動25分、知育の原型である。出欠の確認は漢字の氏名カードを使う。
子どもは何の疑問も持たずにカードを見ながら次々と名前を呼んでゆく。かなりの漢字は識別しているようである。もう一度名前の確認。何人来ているかな。

皆の数から休んだ数を引こう。28-5は23、23人だね。今日の出席は23人だね。さあ、はじめるよ。算数的活動から始まって、国語的活動から音楽的活動・詩や漢詩の暗唱・英語的活動へとカードが次から次へと繰り出される。ハイテンポ・メリハリの効いた指導展開・考え抜かれた教材の配列、オールラウンドな発達への目配せ。25 分間にこれだけの内容を盛り込む公立小は日本中にあるまい。

一連の繋がった良質な情報なら、濃密であればあるほど子どもは喜ぶ。私が懇意にしている巣鴨高校の地学・地理の授業が正にそうだった。本当に良い授業は、緩急自在な展開・靜動の組み合わせが見事である。

9.

歌の発表20分これも驚きであった。
ちゅうりっぷ組の歌「線路は続くどこまでも」「手のひらを太陽に」、メロデオン「メリーさんの羊」選曲も歌いっぷりも素晴らしかった。ばら・ゆり組の歌「紅葉」「旅愁」になるとこの年齢でよくここまで育てたものだと感嘆するばかりであった。

メロデオンで「見上げてごらん夜の星を」は圧巻であった。音楽的知性が何時・どの様に拓いてくるのか興味は尽きない。(音楽のもつ)リズム・テンポ・ハーモニーが「情動」育成に深く関わっている。それを考えると「心の教育」の中核に音楽があることを実感する。

10.

もう一つ付け加えよう。それは「四股」である。
日常の教育活動の中に「四股」を取り入れるなんて普通は考えつかないであろう。

「相撲」が指導要領から消えて久しい。「体格はいいが体力がない」それが学校の現実である。跳・投・走が全体的に落ちている。特に足・腰が弱い。これは致命的である。負んぶ・手押し車・登り棒なども効果的であるが四股こそ単純にして明快、効果的な方法であろう。

境川部屋とも親しくしているが、親方は口うるさいぐらいに「四股」「鉄砲」「すり足」をやらせる。特に「四股」が大事だという。私も子どもと砂場でよく相撲を取るが年々子どもの足腰は弱ってきている。基礎体力をどう育てるかも学校の大きな課題である。人生とは不思議なことである。揺るぎのない教育の筋道を求め求めて、やっと辿り着いたのが「脳科学の知見を生かした教育」であった。

30数年も掛かった。「子どもの友になること」「生涯をかけて子どもの幸せに尽くすこと」これが出発点であった。代表宣誓した時の私の決意でもあった。教職を通して祖国に尽くしたかった。

定年半年前になって始めて、揺るぎなき教育の実践知と脳科学の学問知の連携・融合の姿をみた。やっと見つけたという深い安堵・納得と大きな希望である。彷徨い方向を見失った日本の教育再生の第一歩がここなかよし保育園から踏み出されている。感無量である。

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