保育方針
保育の考え方
乳児:ふたば(0歳児保育)、つくし組(1歳児保育)
当園では聖書のおしえを通して豊かな宗教情操を培い、
「思いやりと感謝する心を育て、強くたくましい心身を育てる」を基本理念にしております。

幼児期
幼児は人間として成長する諸能力を最も豊かに与えられて生を受け、著しく発達することが明らかにされています。
従って当園では、「知、情、体」の調和のとれた保育環境を整え、「動き、ことば、リズム」を基調とした適切な経験を与え、リズム、テンポのある楽しい雰囲気で毎日繰り返す活動により、乳幼児期に大きく育つ視る、聴く、動く、触る、味わう、話す等の五感の完成を養います。
さらに人である大切な“ことば”の発達の根っこを培うことにより、乳幼児の生まれながらに持っている天分を豊かにはぐくみ、心身の全人的な発達を促します。そのためには情操的にも安定した、たのしい愛情に満ちた環境を与えなければなりません。

保育実践内容
感覚
· 平衡感覚・皮膚感覚・聴覚・視覚



乳幼児はミルクを飲み良く眠り、オシメを代える。この連続的な毎日の営み、それが新生児、乳幼児が育つことであり、子育てであるように一般的には考えられています。たしかに身体的、生理的な成長のために、必要なことであり、大切なことです。
しかし、霊長たる人間の基礎基盤が形成される乳幼児だからこそ、乳幼児は、それが育つにふさわしい環境が用意されなくてはなりません。勿論、身体的に大きく成長する時でもありますが、それ以上に情緒的にも安定した愛着関係、そし親愛に満ちた人間的な信頼関係がなくてはなりません。
本来、幼児は生まれながらにして自分が愛され関心もたれること、周囲の大人の優しい笑顔、そのような集団の中でのリズム感に溢れた豊かなことば、それに美しい響きの音楽等に限りなく魅かれるのです。
・そうです!生まれながらに人間として生を受けた人生の第一歩、それが新生児です。
真・善・美、愛の溢れた環境に包まれ、満たされることにより、情緒的にも安定します。生理的にもっている心と体の発現するプログラムは、脳の神経細胞を組み合わせたネットワークシステムを働かせ、外の環境に適応しながら発達を遂げていくのです。
それは心と体のプログラムが夫々別々に働いているのではなく、両者が相互に関連し合いチューニング(同調)し合いながら育っているのです。なかよし保育園では、このようなことを体験しながら日常の保育を実践しており、その一環として“スキンシップ活動”があります。
保育士と幼児が一対一で、豊かな表情、優しいことばをかけながら、素手で身体全体のツボをマッサージしたり、又指圧でツボを押さえることによって、身体的にも快なる感覚に満たされ、情緒的にも安定するのです。
そこには、保育士と幼児との一体感、信頼感が醸成され、文字通り豊かな“スキンシップ”が成り立つのです。勿論、その結果ツボの指圧、素手によるマッサージは消化器等の内臓を強化し、皮膚を刺激することによって血流を活発にし、身体の発達に大きな効果があります。このように幼児とってすばらしい“スキンシップ”は、文字通り保育士と幼児との心と心の通い合う、至福の時でもあります。
·スキンシップ活動
■2ヶ月~10ヶ月
足の指圧、マッサージ、曲げ伸ばしなど。
■4ヶ月~1歳
足の裏を指で押して刺激する(指圧)など。
· 体育ローティション(1才~2才)
・ローリングマット運動を行う。
・ハンモック遊びをとおして平衡感覚を鍛える。
・バスタオルに乳児を乗せ歌に合わせながら揺すり、三半規管を働かせて平衡感覚をつけていくなど
· リトミック

・ピアノに合わせて(兎とかめの曲)ハイハイ運動を十分にする。「子守歌」でネンネ。
・「やきいもコロコロ」脇を支えてゴロゴロ、抱っこでゴロンゴロン、上手になったら競争したり、追いかけっこしたりなど
· はだしはだか保育

・交感神経が活発に反応できるようになり、それまで体温調節を知らなかった赤ちゃんの身体に体温調節機能ができ上がって、風邪をひきにくくなる。
・入園当初の子には裸保育に対して十分注意して徐々に行う。
・裸足での生活を積極的に採り入れる。裸足で生活することにより、土踏まずがはっきり表れ、立った時の重心もしっかりと足の指を使って立てるようになる。
・裸足の方が足に解放感があり、歩く際の安定感も高くなる。
・運動能力やバランス感覚と共に、情操教育や知能の発達の面でも良い影響が見られる。
・風邪や強力なインフルエンザが流行した年でもほとんどの子は罹患することがありません。
・当園は創立以来、インフルエンザなどで休園をしたこともありません。
子育て論
・こどもは未来です。希望です。
我田引水になりますが、もし「保育園がなかったら?」今の世、子育てはどうなっているでしょうか。家庭も社会も成り立たなくなり兼ねない存在が保育園の役割です。
保育園の存在意味は、特に最近その位大きくなってきているのです。保護者、一般の人、そして保育園の保育士などで、答えは色々異なるにしても、保育園の存在意義を「保育園という大きなお家の家庭的生活の中で、生きる力を生み出す子供社会」と考えます。
·豊かな依存体験を十分に

赤ちゃんは、周囲に対する信頼感を基盤に自立していき、その信頼感なしには、自立が出来ないのです。無力な赤ちゃんは自分では何もできないので大人の、誰かに依存し世話にならなければ生きていくことができません。
ところで、問題は赤ちゃんの期待や欲求に、周りの人が叶えてくれない場合です。自分で出来ない、誰もやってくれない。泣いて訴えて、喚(わめ)いても、欲求を満たしてくれない。あれこれ要求しても親や大人に受け容れられなければ、一種の無力感が漂いつのりかねません。そういう負の初期体験によって、周囲に対する不信感が生じてしまいます。
赤ちゃんには色々な欲求があります。オムツが濡れて気持ちが悪い、取り替えて欲しい。お腹が空いた、オッパイが欲しい。退屈だから相手にしてほしいなどなど。寝入りばな寂しいから側に添い寝してほしい。目が醒めた時、不安に襲われたとき、すぐ側に来てあやして欲しい・・・。
そのような、自分で解決できない不満や不安、不快感を、お母さんや、保育者が自分に代わって解決してくれる、自分の欲求を十分に豊かに叶えてくれたという経験、これが大切です。特に最初の3ヶ月は、子どもの欲求が全て受け容れられて、十分に欲求が全部叶えられる体験が必要です。このように、依存体験を十分にした子どもは自立が早い、これは自分自身に対して自己肯定感の強い子になるからです。
小さいうちから決して躾や我慢強くなどという強制の下では、我慢さなど育つ事はなく、その反対の結果になりかねません。自分に対する無力感が残るだけのことになるからです。
乳幼児期に親や大人など周囲に対する不信感が募ることは、イコール、自分に対する無力感として残りかねません。その反対に、愛情深いお母さんはじめ、大人の豊かな愛着によって周囲に対する信頼感で満たされ、強まるほど、自分に対する自己肯定感を育むことになっていきます。この自信が、自立、自律、自己確立へと繋がっていく大きなエネルギーになるのです。(自己肯定感)
· 愛された原体験・・・小さな家から大きな家へ
保育園は「大きなおうち」という社会的家庭の考えに支えられて0歳の赤ちゃんから6歳まで6年間も在園し、社会生活の基本を、家族的環境という集団の中で自然に学び育っていきます。
このような愛情の集団「大きなおうち」である保育園で育った子供は、例え、不幸にして、両親が離婚など家庭崩壊のような中に遭ったとしてもたくましく生きる力を育んでいきます。何故なら個別の家庭の崩壊があっても、朝から夕までの保育園という「大きなおうち」の愛で培われた人間への信頼感・自己肯定感という「生きる力」が、その子を救い、励まし続けるからです。これを愛による人間への原初体験と呼びます。保育園時代を超えて、卒園してからも「保育園で愛された原体験」が生きる力が「一生もの」になっていくことを、保育者は知っています。
今、不登校、引きこもり、いじめ問題など教育問題、社会問題となっております。さらにこれらは、少年犯罪等に関わる予備者へと繋がり、社会問題となっております。このケースも幼児期・乳幼児期に「愛された」という原初体験の少ない人が多いというデーターがあります。
事実、保育園卒業者と幼稚園卒園者とを小学校に上がってから、不登校、引きこもり、少年犯罪等で云いますと、幼稚園出身者の子供が多くなっているという統計もあるくらいです。
· では保育園卒園者はなぜ非社会的行動をとる子が少ないのでしょうか?
その理由として保育園は、単なる子供を預かるだけの場所としてだけでなく、「ゆりかご」であるべき家庭の延長としての実態・環境を全面的に受け止め、子どもの悩みを己が悩みとして悩み、更には子ども達への未来への希望を託すことのできる「生きる力」を育む場としているからです。
学校や企業社会は「競争と比較」の社会です。ここではタフな人間力を持っていないと生き残れません。このタフな人間力の原点となる、しつけ、マナー、ルール、チームワーク、判断力、忍耐力、協調性などを保育園は「教育」という手法システムで教えるようなことではなく、温かい雰囲気の、大きなお家の兄弟姉妹の中で、見習い教えあい、助け合いという自然体で育まれます。自然体ですから、学校教育型でなく、人間としての人格形成の基礎を無理なく育みながら生きる力となります。就学前の子育ては、学校教育型教育になってはならず、人と人の絆を深める保育園型子育ての大切さを今この時期こそ強調されなければならなく、これが少々の困難があってもキレる子供をつくらない基本です。

